資料@ デス・エデュケーションの実践例
−家庭での取り組み− 

  この文章の内容は,ある通信学科の学生さんから送られてきた手紙である。この手紙は,夏のスクーリングで私の講義を聞いてくれたある母親が,自分の子供の話から実際にDeath Educationを実行していただいた様子を克明に報告していただいたものである。私自身,それまでこの教育の重要性を感じて講義してきたのであるが,この手紙において,実際にこのような大きな変化を子供が見せることをまさに実感させられ,私自身にとっても多くを教えられた貴重な事例であるので,ここに,この手紙をご本人の同意を得てご紹介する(一部省略)。

〈第1回手紙〉
 早いもので10月も半ばになり,木々の葉も鮮やかに色づいてまいりました。スクーリングではたくさんのことを学ばせて頂き,先生のお人柄を思わせる素晴らしい授業に出席出来ましたこと心より感謝申し上げます。帰宅後,上京した2週間を振り返る時,いつも中村先生のことを思い出します。それだけ私にとって得ること大きく,夫に3人の子供を預け,様々な事情に無理を通して出かけたことは,決して無駄ではなかったと確信しました。
 テストの感想と重なりますが,私は今まで「死」をなるべく見つめないようにして生きてまいりました。小学校の6年生の初夏,実母を病気で失いました。これから25年近くの歳月が経とうとしておりますが,辛かった気持ちは今でもはっきりと蘇ります。それ以後,人一倍死への恐怖があるのかも知れません。現在夫と子供の5人の生活は,平凡ながら楽しく,この家庭を失いたくないという思いが,余計に「死」ということを遠ざけていたように思います。
 しかし,子供たち(特に次男)はゲームの影響でか,「殺される」とか,「死ぬ」などを平気で口にして,こちらが驚くこともしばしばでした。やはり身近な存在の死を知らない,幸せな子供であると,先生の授業中感じておりました。帰宅後2日目の8月23日,初めての夕食の後,家族で「死」について話しました。以後2回しました。大変遅くなってしまいましたが,そのことについてお伝えしたくお便りいたします。母として,ぞっとする答えが返り,大変ショックでした。
 夫(42歳,牧師):職業柄,「死」は多く接するけれども,幸い自分の身近に逆順の死はなく,いかに幸せかを痛感する。死ぬことを怖いとは思わない。しかし,家族の死は辛い。信ずる宗教を持っていても,別れはやはり考えたくない。特に,子供たちの死は経験したくない。……以後,聖書的な話に発展。しかし,自殺する人の苦しみ,状況の深刻さを遺族から聞くと,何となくその気持ちも分かるような気がする。もっと他の逃げ道はなかったのか,いつも問うているとのことでした。 私(37歳,主婦):死は怖い,考えたくないけれど,子供たちや夫が簡単に死を選ばないように,まして,他人を死に追い込むようなことがないように,しっかり教育していきたいと思うこと,それがスクーリングに出席させてもらった成果であり,家族への「ありがとう」の気持ちであると話しました。
 長男(9歳,小3):死にたくない,怖い,死んだらみんなに会えないし,お母さんと分かれるのはいや,自分が死んだら周りが悲しいと思うから「自殺」はダメ……なんじゃないかな。
 私:「どうしてそう思ったの?」
 長男:「だって,お葬式の時にみんな良く泣いていたじゃない」と答えました。 * 夫が6年前まで教会の専任牧師であったため,長男は3歳7か月まで教会に  住んでおりました。以後夫はミッションスクールの聖書科教員に変わり,いわ  ゆる普通の住宅に移りました。幼い頃,自宅の礼拝堂で何回も行われた葬儀を  覚えていたらしく,その場面を思い出したようでした。
 次男(7歳,小1):「死者蘇生」,「死者蘇生」,「死んだらゲームオーバー!」
 私:「意味分かっているの?」
 次男:「え,死んだヤツが生きかえるんだよ」
 私:「死んだらゲームセットなの?」
 夫:「ゲームセットしたらどうなるの?」
 次男:「知らない,どっか行っちゃうんじゃないの?。あっ,もう一度やり直せばいいんだよ!。スタートボタンを押して……」
 私:「どこにあるのよ,そのボタンは!!」
 次男:「心臓です!。ハイ,スタート」
 私も夫も呆然,長男が次男に「お前はゲームかよ……!。バッカじゃないか,コイツ」とケリを入れました。
 長女(3歳,未就学):「"死ぬ"っていなくなっちゃうの?。誰が?。私が死んじゃうの?」
 私:「パパとママがどっちかいなくなっちゃうの。どう思う」
 長女:「いや!」
 私:「じゃあ,I(子供のニックネーム)が死んだらどう?。パパとママやお兄ちゃんたちはどう思うと思う?」
 長女:「絶対にいや!。私が死んだら,パパもママも泣くと思う。ママ,私のこと好きでしょ? だから」
 自分が死んだらみんなが悲しむこと,お友達が死んでも同じであること,発展させて交通安全のことも教えました。以上の内容で,60分くらい話しました。初めてのことで子供たちの反応が興味深くありましたが,次男には本当にショックでした。ふざけているのだと思い,真面目に考えるよう言ったのですが,同じような答えであり,もうその時の驚きはひどく,なんとかこの子を改めさせなくては,と私自身,今までの死に対する無教育を反省するばかりでした。その後,敬老の日に子供たちの曾祖母を訪れた帰路,そして,9月29日,夕食卓を囲んで,計3回,死の話し合いを行いました。夫,長男,長女は初回と同じような反応でした。次男については以下記します。
 (9/15) ともかく死んでも蘇生しないことを話しました。蘇生はゲームの中だけのこと。絶対に生き返れないのだ。スタートボタンでやり直している人間は一人もいないことを何回も話しました。だから,生命を大切にしなければいけない。自分で死んでもいけないし,人を殺してもいけない,絶対にいけない,と繰り返しました。息子は突然「旧約聖書」十戎の「あなたは殺してはならない」を持ち出して,そう言うことか,と妙に納得。「蘇生しないんだー!」とオーバーな反応に,私はこの子は少々頭が悪いのではないかと情けなくなりました。しかし,何か感じるものがあるらしく,「蘇生って本当にはないんだぁー!!」と数回繰り返すのでした。「ひいおばあちゃんも死ぬんだ」とポツリ。
 (9/29) 私の37歳の誕生日。私の母(子供たちにとっての祖母)が39歳で病気で亡くなったことを考えたら,あと2年後にこの母がどうなっているか分からない,と話しました。そんなことは考えたくないけど,生命っていつなくなってしまうかは誰も知らない,だからこそ,一生懸命生きていることを説明しました。「お母さんが今,死んでしまったらどう思う?」の私の問いに,次男は「お母さん,死んじゃう前に女子大を卒業した方がいいんじゃない?」と思いがけないドライな反応が返り,腹が立ちました。しかし,すぐに「イヤ,ダメ,死んじゃいやだ。オレもお母さんの勉強の邪魔をしないから,死なないで,ゲームもあんまりしないで言うことを聞くから,死んだりしないで」と泣きそうになりました。私も夫も8月に初めて死の話をした時の次男から,少し変わってきていることを実感しました。相変わらずゲームは致しますが……。
 日にちを空けてもう1回,と考えておりました矢先の10月6日,次男のクラスメートのお父様が自殺するという大変ショッキングな事件が起きました。自営の会社が倒産,自宅マンションの屋上から飛び下りたそうです。お葬式に伺いましたが,ご家族の悲しみが焼き付いて忘れることが出来ません。特に,友達として家にも何回か遊びにきていた息子さんの泣き崩れる姿には,こちらが泣けてしまいました。その時以来,次男は「死ぬ」,「殺す」といった言葉を使わなくなりました。死の意味を初めて理解したのではないでしょうか。今月東海村で起きた放射線漏れによる被爆についても長男と話したいと思っているものの,まだじっくりと話すに至りません。我が家は私がスクーリングの授業で頂いた学びの中から,家族(特に子供たち)に「死」を教えたい,と願っていたにも関わらず,思いもかけない悲しい方法で死を見つめることになりました。私も,夫も,「どんなに辛いことがあっても,死を選んではいけない」と決意を新たにした次第です。今後,この悲しみが薄れないように,時間をつくって死の話し合いは続けていくつもりです。「死」を口に出せるうちは大丈夫かな,黙って先立ったりしないかな,と思います。
 授業の初日,中村先生のお話の幅広さに驚き,そのスピードに少し慌てました。しかしながら,先生の世界にどんどんと引き込まれ,とても楽しい時間でした。自分が通学部の学生だったら,ぜひ,先生のゼミに出席したい,そんな思いが深まり,悔しいです。

〈第2回手紙(平成11年12月2日着)〉
 11月も下旬となり,冬が駆け足で近づいてまいりました。先生はいかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。我が家での,特に次男との「死の話し合い」について引き続きご報告申し上げます。
 10月30日(土) 小学校で学芸会があり,息子たちは張り切って自分の役をこなしていました。会の最後に校長先生から挨拶があり,それに続いて6日に亡くなられた次男のクラスメートの父兄(お友達のお母様)からご挨拶がありました。私自身,遺族の悲しみの声を再びうかがって,絶対に自分で死を選んではいけないと強く思わされました。その日,子供たちと久しぶりに「死」について話し合いました。「T君のお母さん,悲しそうだったね」という私の一言に,長男が「T君のお父さんは自分が死んじゃったら家族が悲しむって分からなかったのかなあ……」と申します。すぐに答えてあげられず沈黙。どうしても死んでしまわなければならなかった難しい問題があったのではないか,好きで死んでいく人などいないはずであることを言いました。次男は「ゲームなら生き返れるのにね」と,またゲームを引き合いに出してきます。どうしてもゲームが出るのです。兄からは「お前はファミコンしか頭にないのかよー!」と喝。しかし現実とゲームの世界を次男なりに区別して考えているようで,少し安心しました。一方,長女は「T君のママ,いつも黒いお洋服を着てるね」と言います。女の子はそんなところに目がいくのかなと思いながら,「心が悲しいから,気持ちと同じ黒のお洋服を着るんだよ,死んじゃうって言うのはね,それだけ悲しいんだよ。もしうちの誰かが死んじゃったらね。ママも毎日真っ黒のお洋服ばかり着るよ」と言うと,「私,ママが悲しむから死なないよ」と答えました。
 何か子供に読めそうな死を考える本はないものかと,かねがね探しておりました。買い求めた数冊を11月になって一緒に読みました。 
「麻意ちゃん やさしさをありがとう」石黒操子 立風書房(1998)
「麻意ね,死ぬのがこわいの」―死を問い生を見つめた少女― 同上(1993)
「いつでも会える」 菊田まりこ 学研(1999)
 中村先生はどの本もご存知だと思いますが,麻意ちゃんと言う小学1年生の女の子が白血病で亡くなるまでの3年間の闘病記です。上は大人向き,同じ内容で下は小学生向き,両方あるので選びました。この子供向きの方を夜寝床に入り30〜45分くらいずつ,3人の子相手に読み聞かせました。長男は日中一人でも読んでいました。「いつでも会える」は愛犬が主人公で,飼い主が死んでしまうという小さな絵本です。3冊を一週間ほどで読みました。それ以後,何かにつけて我が家は麻意ちゃんとその家族の話になりました。
 その中から「"白血病"だって,いつ家の家族に発病するか分からないこと,病気は特別の家に起こることではなく,どんな人でもいつそんな悲しい出来事にあうか分からないこと,だからこそ,今,こうしてみんなが元気で生きていることに感謝するんだよ」と説明しました。
 11月9日(火)次男が夕食中,突然「お母さん,この頃,うち死ぬとか病気とかそういう話が多いよね。何か僕,怖いよ。だって死んだらもう生き返れないのでしょ。もうお母さんにも会えないのでしょ。それじゃ,怖いよ。もうそういう話するのをやめようよ」と言い出しました。すかさず長男が「そうだよ,うちだって明日病気になるかもしれないのでしょ。それならもし,その病気が白血病だったら,どういう風に死んでいくのか分かりすぎだよ。そういうのイヤだよ」。さらに二人とも,「本なんか読まなきゃ良かったよ!」と言うのです。「今は麻意ちゃんが亡くなった頃よりはるかに医療技術が進んでいるから,同じにはならないわよ」と答えたのですが,子供たちは納得してくれません。見かねた夫が,「死ぬのはみんな怖いと思っているよ。死んだことないし,一人でその経験をしなきゃならないのだから。でもね,今,元気なうちは,一生懸命生きることを考えなきゃ。死ぬ時のことは,もう少し先でもいいんじゃないかなぁ。だって,神様はこうして元気な身体を与えてくださっているのだよ。死を考える前に,もっと他にたくさん考えなけりゃいけないことがあると思うなぁ(やや宗教的ですね)。それにお母さんだって死が怖いからこういう本を読んだり,話したりしているのではなくて,一生懸命生きていてほしいから読んでいるんだよ」と助けてくれました。「そうだ,そうだ」と私はうなずきながら,いま,身体が元気でも,心が病んでいる人が大勢いることを言いました。心が元気な人は,友達が悲しんだり,困っている時に,"ざまあ見ろ"と笑うのではなく,共に悲しみ,共に考え,優しくなれる人であることも加えました。「困った人を助ければ,自分が困った時に助けてもらえるの」,「相手に優しくできれば,相手も優しくなるんだよ」と言うと,チビ(長女)も含め,3人がうなずきました。
 しかし,この日は死の恐怖を除くことはできないまま,話は終わりました。私は知らず知らずのうちに,子供たちに過剰な死の恐ろしさを植え付けてきたのではないか,壁にぶつかった思いでした。さらに,書物が死を考える良い手がかりになればと思ったのですが,本を与えることの難しさも実感しました。
 それ以来,自分自身死の話し合いをどう切り出せば良いか分からず,そのままになっておりました。おりしも科目試験の前で,私が忙しく,14日が終わってから中村先生にこのまま申し上げようかと考えていました。そんな11月17日(水),次男からT君がお母さんの郷里に引っ越すらしいと聞きました。20日(土)が最後の登校日なので,クラスでお別れ会をするとのことでした。その時,一人ずつ一言お別れの言葉を言うので考えてくるようにとのことでした。
 私は,次男が父を失った友達に,どんな言葉を言うのか大変興味深くおりました。何を言えばいいのか聞かれても,決してアドバイスせずに,次男自身で考えさせようと思いました。案の定,「何ていえばいいか分からない―!!」などと私に頼ってきました。「当日の朝,しつっこく言っていると,兄が「『Tのこと,忘れないよ』でいいじゃない! 何も思い浮かばないならサ。あんなに仲良かったのによぉ」と教えていました。
 帰宅後,「何を言ったの?」と真っ先に聞きたい気持ちを押さえて差し出す連絡帳を開くと,担任の先生からこのような文が書いてありました(以下,そのまま転記)。
 「今日3校時目にT君の送別会をしました。全員に一言ずつお別れの言葉を言ってもらいました。みんな「元気でね」とか,「札幌でも頑張ってね」などと言いました。その中で,M男(次男)は「T君は,どんなに辛いことがあっても死なないでね。T君が死んじゃうとお母さんが悲しむから,がんばってね。ボクもがんばるからね」と言ったのでした。大変驚きました。でもT君は泣きそうな顔でうなずきました。後で「お母さんがこう言いなさいと言ったの?」と聞くと自分で考えたと言います。再び驚き,優しいM君にとても嬉しくなりました」
 私は次男が死の話し合いの意味を少しずつ理解してくれていることを感じました。スクーリング直後から大きく変わったのだと思うと涙が出ました。日ごろ叱ることばかり多いこの子を思いっきり抱きしめました。
 この先,今の思いを維持できればと思います。日常の会話の中で「死」の話題になっても,今までのようによけて通るのではなく,普通の話題と同じように,率直に話したいと思います。
 中村先生の授業を受けなかったら,次男は相変わらず"死者蘇生"の状態だったかも知れません。本当にどうもありがとうございます。「死は怖いけれども,だからと言ってよけて通るのはやめよう」と子供たちが思えるようになればよいのですが,まだまだ先は長いようです。いま現在,こんな状況です。

                                            T.T.

〈第3回手紙(平成12年2月29日着)〉
 2月も今日を残すばかりとなり,早春賦の歌詞が思い出されるこの頃でございます。先日はお電話で失礼いたしました。拙い文章がこのようにお役に立つなど,考えてもみないことでした。予想もしない展開に恐縮しております。こちらの名前を出さないで下さればどの文面も,また今後の文章もご自由になさって下さい。それから,先日先生が私の手紙をワープロで打って下さったものを拝見しました。どうもありがとうございました。
 あの日,中村先生との電話を聞いていた次男は「お母さん,今,女子大の先生とオレのこと話してたでしょう」と申しました。私の横に来て「お母さん,ずっといっしょにいようね。死ぬまでオレね,まっすぐ生きるんだ」と言うのでした。おりしも,夫の帰宅が遅く,夕食を済ませ,子供たちとのんびりしておりました。「まっすぐってどういうこと?」と返したところ,「だってオレの名前はそういう意味なんでしょ,お兄ちゃんが言ってたよ。さっき,お兄ちゃん,漢和辞典を開いてたらオレの字を見つけたって言ったもん」と言うのです。「お父さんやお母さんが言う通り,プンプンしないでいつも優しい子でいなさいと,ということなんだよね,死んじゃったらね,お母さんと会えなくなっちゃうでしょ,そういうのイヤなの,だから今のうちにまっすぐいようと思って」と次々に話すのでした。何かこの子の中に思いがあるのかなと感じ,膝に乗せて抱いてやりました。年末まで続いた死の恐怖は大分落ち着いてきました。しかし,過剰反応はしてほしくないものの,決して忘れてもらいたくないことなので,この頃はどう考えているのか聞いてみたいと思っていた時でした。そこで,「ありがとう,お母さんもお兄ちゃんやM(次男)やI(長女)に会えなくなるのは嫌だな。死ぬの,怖いしね。でもね,元気で一緒にいられるうちは,神様にありがとうと言いながら一生懸命に生きようね。みんなで協力してね」と答えました。すると,「お母さん死んでも天国で一緒だよ。自殺とか,殺人とかしないで一生懸命まっすぐ生きたら天国に行けるんだよ。そうお父さんがこの前,お風呂で言ってたよ。」と,ふたたび次男が言うのでした。長男いわく,3日くらい前に入浴中,そんな話が出たとのこと,私は知らず,母のいないところで男同士,そんな話題で会話ができるようになったこと,また,死について話してくれた夫に感謝しました。この影響でか,今は息子たち二人とも,優しい人間として生き続け,その末に死を迎えたら,天国に入れると信じたようでした。
夫の説明について少々申し上げます。内容はスクーリング直後から基本的に一貫しています。イエス・キリストは私たち人間の罪に対するあがないとして死んで下さっている。その死は3日前に復活,すなわち,死は勝手にのみ込まれていると考えています。死を終わりと見ず,死の先を見ているわけです。死は事実としてあるわけですが,主の御復活によって勝利にのみ込まれているのだから,これを最終目的にしない「死を思いつつ生を充実させることが生かされている者の義務である」と説いておりました。
以上の内容を優しくかみくだいて,天国の話なども出しながら説明していたのです。そして,我が子たちは死を人智には計り知れないこと,イコール神の御手の業,と解釈しつつあります。それは私たち夫婦が望むことでもありました(この説明には異論を唱える方もいらっしゃると思います。しかし,キリスト教を信じている我が家では,これが究極の答えとなるのでした)。
 2月に入ったばかりのある寒い日,長男と同じ学年の男子生徒数名が,小学校付近の公園でテントを張って生活していたホームレスの方に石を投げつけていたらしく,通りがかりのお年寄りが学校に通報。その場を先生が見つけて職員室に連れて行かれたそうです。子供たちは先生方の「ホームレスなら死んでもいいのか!!」の問いに,「別に……。ただ何となくやった」,「深い考えなどない」,「死ぬかもしれないなんて思わなかった」と答えたそうで,後から知った私も大変情けなく感じました(私はその日学校に用事があり,早くにその事件を知ったのでした)。帰宅後,長男に「自分もその場に居合わせたら一緒になって石投げた?」と聞きました。しかし息子は,「お母さんが気の毒ねって言っている人たちに,石なんか投げられっこないでしょう」と言われ,胸をなでおろしました。「あれ。お母さんそんなこと言ったっけ?」の問いに,「何言ってるんだよ,駅の地下とかいろんな所でホームレスの人を見るたびに,お母さん,かわいそうだね,とか,寒いだろうね,とか,いろいろ言っているじゃない,覚えてないの?」と言われ,うっかり口から出ていることが子供の心に焼きつくこと,親の生き様が見られていることを実感させられました。この時,次男は,「ねえ,お母さん,そのホームレスの人って家族はいないのかなあ,子供とか奥さんとかお母さんとか……」と申しました。「いるかも知れないね」の私の答えに,「その人のお母さん,心配しているだろうね」と言うのでした。「本当ね。"ボクはここにいます。生きてます。お母さん"と言えたら楽なんだろうね。でもね,何か事情があるんだと思うよ。自分から好きでホームレスになる人は一人もいないの。だから,絶対に石など投げては行けないよ」と教えました。その日,外の気温は早くもマイナスに下がっていました。たまたま,お使いを次男に頼んだところ,「使い捨てのカイロをくれ」と言います。1つ渡したところ,私には内緒で箱から3つ持ち出したようでした。後から4つも次男が持っていったことに気がついて,帰宅したらそんなに一度に使ったら低温火傷になることを言うつもりでおりました。息を切らして戻った次男は何と「今ね,公園まで行ってね,カイロをおいて来たの,だってこんなに寒いのに,あのホームレスの人,外にいて,石も投げられて,かわいそうでしょ,死んじゃったらかわいそうだからカイロ上げたの」と言うのです。「受け取った?」と聞くと,「ハイって上げないで,黙ってテントの入口に置いてきたの,どうぞって言ったよ。おじさんが中から出て来そうだったから,走って帰って来ちゃった」と言うではありませんか。私にはこれが"死者蘇生"と平気で言ってのけた息子とは思えませんでした。次男のしたことに,心から「ありがとう,優しい子になってくれて本当にありがとう」と申しました。
長男も次男も相変わらずファミコンが大好きです。その上,兄弟けんかも絶えません。先週には次男が通学途中のアパートのベルを2日間も押しては逃げると言ういたずら(ピンポンダッシュ)をして,学校に苦情が入り,私は校長室に呼ばれて謝罪してまいりました。穴があったら入りたい心境で,このいたずら坊主に腹が立ちます。しかし,死の話し合いをゆっくりしたペースでも続けることで,少しずつ優しさを示せるようになれば,その経験はこの子の心の宝になるのではないかと思います。そして,この先我が子たちが社会でどのような人生を歩もうとも,優しさや思いやりを失うことなく生きていければ,人間としてまっとうに生きていけるのではないかと考えます。
 中村先生の女子大通信の文章にもありましたが,一人称で物事を言うと価値観の押し付けが生じると思います。思いやりを持つことの大切さを思います。少し飛躍してしまいましたが,自分勝手な兄(弟)がどうやったら弟(兄)を思いやれるか,これは日々の私の悩みですが,この問題にも通じるように感じました。二人称で考えるには,自己を相対化する何かがあると大変助かるように思うのです(必要と言ったほうがよいかもしれません)。
 それが宗教にも繋がり,人間が神なり仏なりを求める心へと繋がるのではないでしょうか。これはあくまで私の勝手な思いです。失礼をお許しください。
 春が近づき,末の娘の入園が待たれます。組織の中で娘に新たな言動が生まれることが予想されます。4歳になった下の子にも,死を真剣に教えなければいけない。これからは息子以上に必要ではないかと,そんなことを考えております。
 先生が次男について本当によく覚えていて下さり,また,いつもお心にかけて下さいますことを心から感謝しております。女子大通信の今月号に来年度のスクーリングの日程が出ていました。中村先生の授業はまた旧盆の時期ですね。ゆっくり上京したいのですが,私は今年も出られそうな時期だけの出席になりそうです。入学して3年,これからも自分なりの学びを深めてまいりたいと願っています。
 まだまだ寒い日が続きます。年度末のお忙しい時期ですのでくれぐれもお風邪など召されませんように。

  中村博志先生
                                            T.T.

〈第4回手紙(平成12年7月)〉
 早いもので七月になろうとしております。またスクーリングの季節がまいりました。
 このたびは貴重な研究会の報告書をお送り頂き,どうもありがとうございました。私が先生に宛てた手紙がこのような形で用いられ,ご研究に一石を投じてしまったこと,その責任の重さを実感しております。拝読して,報告書にあるように,子供たちの未来を拓くために死を通して生を考える教育が今こそ本当に必要であること,そのために様々な試みがなされ,少しずつ実行に移されていることを伺って,今後,子育てや教育の現場での指針になるのではないかと感じました。どのページもうなずきながら,また大変興味を持って読みました。昨年,先生の授業を受けて良かったと,ふたたび思った次第です。
 ご報告にもある通り,これらの教育は幼児,小学生,中学生,また教職にある方々や保育士,そして子育て中の母親(父親)など,様々な方面から必要なのではないでしょうか。私も先生からの多くの学びを基に,機会ある時はお友達のお母さん方に「我が子に対する死の話」について聞くようにしています。次男の学年は,特にT君のお父さんのことがあり,死に対する話が母親同士の集まりの中で一時盛んに出ておりました。しかし,興味本位な内容が多く,いざ自分の子供に対する話になると「自殺や殺人は絶対にしてほしくない,と思っても,どう教えればよいか分からない」,「死は子供にはタブーな話だから……」といった反応がとても多いのです。昨年授業を受けるまでは私も同様でしたので,それは理解できます。「必要以上に不安をあおっても……」や「もっと年齢が高くなってから」なども聞かれることでした。しかし毎日のようにニュースで流れる"何でもあり"の青少年の事件に「このままではいけない」,「何かが狂っている」との危機感は共通しているように感じました。中村先生にご来仙頂くのが一番と思うものの,自分の学びが追いつかず,話はその場その場で終わってしまい,取りまとめに至らず,力不足を痛感します。それだけに先生がおっしゃる年齢に応じたマニュアルが出来れば,また研究会でのことが全国的な社会運動になっていけばと期待しております。
 我が家では,以後「死の話し合い」は特別に行われておりません。これまでの数回で,恐怖も植え付けてしまいました。しかし日々の生活で,子供なりに「死」を自分で選んではいけないことや,いかなる理由があっても相手を殺してはいけないことは理解してくれているようなので,あえて取り上げて話す,といった形はやめました。その代わり夫と相談して,死の話題になっても避けない,今までは参列を遠慮していた親しかった方のお葬儀には,可能であれば子供を連れて出席することにしました。我が家は日曜日ごとに教会の礼拝に出席しています。他の家庭に比べて高齢の知り合いも多く,教会員との別れ,葬儀の機会は多い方だと思います。しかし今まで立ち合わせたことのない告別の場に,3人も連れて参列することは大変勇気のいることでした。ふたたび過度な恐怖を与えてしまうかも知れないを言う不安や周りへの迷惑も心配でした。遺族の方の了解を得て,また子供たちにも意見を聞いて出席しました。式の間おとなしくしていられるかという親の不安をよそに,下の娘もじっと座っておりました。亡くなった方が可愛がってくださっていたため,子供たちも病気による急逝が悲しく生命の重さを実感したようでした。この経験は非常に大きかったと思います。
 一方,日々の会話では,それまで「人間そう簡単には死なないわよ。あなたたちを残してお母さんも簡単に死んでたまりますか!」という思いばかりを誇張した言い方を改め,「人間って,あなたたちが思っている以上にあっけなく死んでしまうの。だからお母さんのことも,周りの人のことも,みんな大事にしてね」というようにしました。我が子たちに「まさか死ぬとは思わなかった」などと言ってほしくない,との思いです。こうした親側の変化によっての子供たちの反応は,お葬式の列席の後,「ぼく,○○さんのおばさんときちんとお別れできて良かったよ」との長男の言葉,「教会のお葬式ってもっと怖いのかと思ってたよ,T君のお父さんの時よりゆっくり「さよなら」って言ったよ」という次男の言葉で,思い切って連れて行って良かったのかな,と思いました。娘は「おばちゃんが天国に行けますように」などと言って指を組むのでした。日常生活で死の言い方を改めた反応はあまり実感いたしません。死を通して生の重みを考えることは,今後も家庭の中で続けたいので,長い目で効果があればと願っています。
 第7回の研究会で,先生宛の手紙について話し合いが行われたことを伺いました。様々なご批判を頂き,私のやり方は専門の先生方からご覧になると素人のすることで,全く発達段階を無視した,手荒なやり方であったのかなと反省させられます。スクーリングの直後で「子供を何とか変えたい」との思いが強く,必死でした。自分の,いつも体当たり的な育児,子供への接し方をも反省させられました。それにも関わらず,中村先生がいつも暖かくアドバイスをして下さいますこと,心から嬉しく,感激で一杯です。しかし,危険であるかも知れないけれども,母の必死な思いは,その子たちなりの心に,届いたのではないかなと感じます。女子大を卒業できたら,自分の住む地域にあって,私も死を通して生を考える活動を行いたい。そのためにもっと学んでゆきたい,そんな(身の程を知らずと先生に笑われてしまいそうですが)新しい方向性も頂きました。重ねて御礼申し上げます。
 今年のスクーリングは,また旧盆の時(8/9夜〜16日まで),ちょうど先生の講義と同じ時に,午前,午後の2科目出席します。3人の子供は夫と留守番です。
 今月中に食物学科の家庭看護学のレポートを仕上げる予定です。いろいろな科目の参考書として小児保健のテキストを活用させて頂きます。また,日々の子供の病気や様々な問題の対処にも常に開きます。本当に良い本を与えられました。学生としてのみならず,母として大いに役立てています。学部の若い方々に「ずっと使えます。今以上に,母親になった時に熟読してください」と,声を大にして申し上げたいです。
 本当に,いつもこのような不出来な学生をお心にかけて下さり感謝しております。研究会の報告書は,先生から頂戴したお手紙と共に私の宝物です。ご指導を無にしないように,これからも子供たちとの語らいを続けてゆきたいと考えています。天候不順な折,体調を崩されませんように。遅くなってしまいましたが,一言お礼申し上げます。乱筆,乱文をお許し下さい。             かしこ
                                          6月28日
 中村博志先生

                                            T.T.

〈第5回手紙(平成13年8月)〉
 スクーリング・期を終えてSに戻ると,こちらは早くも朝晩の気温が20℃を下り,秋の気配を感じる頃となっていました。上京中はいろいろとお世話になり,また子供にお小遣いまで頂いてしまって,本当にありがとうございました。
 16日の討論会は子供たちがSまで迎えに来るため,どうしても乗りたい列車があり,すぐに失礼してしまい申し訳ございませんでした。あの後,上野まで走ることとなりましたが,中村先生と学生さんとのやり取りを一つ一つ伺って,いろいろと考えさせられることが多く,ぎりぎりまで聞かせて頂いて良かったと思いました。 スクーリングの学生,といえども死への思い,背景はまちまちですね。あの時私はいつも家で夫が言っていた「デス・エデュケーションは慎重になるよ。多感な女子中・高生の誰かを傷つけるかもしれない。絶望に突き落とすかもしれない。生徒一人一人の死のバックグラウンドが全く違うのだからね。」を噛みしめておりました。そしてまた,中村先生のお言葉,「自分が言っていることは,ある意味で無責任……」の裏に込められた,本当に変えていかなくては,という深く切実な思いがひしひしと感じられ,自分は本当に素晴らしい師にめぐり会えたのだ,と感謝の思いが一杯でした。
 私自身,死の教育は先生のおっしゃる通り,基本的に親が(母が)子に教える家庭での教育であると思います。死をきちんと見据えることで,我が子にきちんと生を全うしてほしいと願っております。
 自分の生命も他者の生命もかけがいのないものであることを分かってほしい,そのかけがいのない生命を自分らしく一生懸命生きてほしい,とも思います。その上で,不完全なところを学校なり,地域での教育として託せたら,と考えます。それなら,母として中村先生からの学びを何かのかたちで生かしてゆけるのではないか,私にも出来ることがあるのではないか,と思うのです。これからも,母としての話をベースに,先生のなさっていること,私自身の思いに賛同してもらえる友を探しつつ,何らかの働きかけを行っていこうと,決心しました。
 頂いた研究会の報告書は,一部は娘の通う幼稚園の園長先生(クリスチャン)に渡します。T市私立幼稚園連盟や母親クラブなどに顔の広い方です。もう一部は叔母に渡したく考えております。I区役所内の保健所で保健婦をしています。婦人管理職として苦労しつつ,自身が小3の多動症の男児の母親でもあります,そして,私のよき理解者です。どちらもどのような反応が見られるか楽しみなところです。今年,・期も憲法の授業を申し込んでおります。今度は1学科のみで新幹線で毎日通いますが,その際叔母の家に届ける予定です。また新学期になったら園長先生にも渡します。
 旧盆のシーズン,ふたたび中村先生の授業をわずかではありましたが,受けることが許されて,"学ぶ楽しさ"を噛みしめる思いでした。それだけに,早く卒業単位を充足させたいと思いました。一日も早く軽井沢に行けるように頑張らなくては,と強く思った次第です。
 中村先生のお話,奥様のこと,おいしいところへ連れて行って頂いたことなど,全て夫に伝えました。本当に尊敬する先生に出会えた幸せを二人で喜びました。"今度二人で研究会を傍聴させて頂きたいけど"との私の言葉には「平日行けるの?」と言われてしまいましたが,いつか機会があるならば,先生に夫を紹介したいと思いました。(でも,お酒は飲むわ,煙草は吸うわ,なので先生のご迷惑になるのではないかと,とても不安です。それから話は10分以内にさせなくちゃ,と思っています!!)。
 スクーリングで中村先生がおっしゃったことが,一人でも多くの学生に響けばいいと願っています。討論会,私は昨年出席していませんので比べることが出来ないのですが,今年はお寺の奥様や幼稚園や小学校などの教員,助産婦や医療関係者など多彩な顔ぶれのようでしたので,その中から一人でも中村先生の良き助っ人が現れたら良いと思っておりました。私は主婦の立場で子供たちとデス・エデュケーションを考え,また,先生にご指導を仰げたら,とも思います。
 Sが先生に手紙を書くと申します。拙い文ですがご笑納ください。・期の始まる直前に本を買い,私が女子大に通う際の留守番時に読ませたいと思います。どうもありがとうございました。
 東京は残暑厳しい折,お身体だけはご自愛ください。取り急ぎ一言お礼申し上げます。                             かしこ

  中村博志先生                                 
                                T.T.
 
〈第6回手紙〉 
 中村先生
 すっかりご無沙汰しておりますが,お元気でいらっしゃいますでしょうか。今年のスクーリングに・期のみ上京いたしました。今夜帰仙します。昨年秋,義母が交通事故で入院いたしました。脳内出血でもう駄目かと何度も思いましたが,今は少しずつ快方に向かってリハビリを続けています。私は月1〜2回,週末子供を連れてHの夫の実家に泊まり介護の手伝いをする日々です。今回,義母に優しく接してくれたのは次男でした。これはあの時,本気で生と死について考えられたからであり,ひとえに中村先生のお陰です。どうもありがとうございました。今はすっかり小さくなってしまった78歳の義母を最後まで気持ちよく過ごさせてあげたいとそれだけを願っています。なかなか,自分の勉強ははかどりませんが,元気なうちに女子大の卒業証書を見せてあげたいです。来年こそ,軽井沢の卒業面接に申し込みたいのですが……。
 先生になかなかお目にかかれませんが,蒔いて下さった芽は息子の中で確実に育っております。どうぞこれからも,親子がかけがいのない大切な命と真剣に向き合えるきっかけとなるような,そんなご研究をなさってくださいね。なかなか叶いませんが,また先生の講義を伺いたいです。
 今年の夏は異常気象が続いています。くれぐれも御身体を大切になさって下さい。 
  8月9日                                                                T.T.


死を通して生を考える教育関係トップに戻る