資料B 死んでも生き返ることもあると思っていた
某歯学部学生の感想文

事例 1
  この講義を受ける前まで死について考えたことは多々あったが、自分ひとりではなく他人と一緒に考え、意見を言い合い、ふれることは初めてだった。そして自分が死についてわかったつもりでいたがどれほど無知であったかを知り一番考えることの多い時間であった。一番知って驚いたことは、私は今まで人間は生き返ることがあると思っていたがそれが間違いだったということである。なぜ、思っていたかというと根拠はないが何億年もの歴史が刻まれているなかであり得ないことではないと思っていた。そしてそう思わせた一番のもとはテレビである。何かの特番で人を生きている時に冷凍すると死んでしまうが解凍すると生き返るというような番組を見たことがあったからである。
  実際、私のようにそれが間違った知識だと気づかないでいるだけで、そう思っている人は他にもいると思う。そのためにも死について考えたこの時間はよいものだったと思う。こういったことは、自分一人で考えていても、明くまでも自分の知っている情報だけなので信じて疑うことない。だが、普段このような機会がなければ決して他人と話すことのない事を皆と考えるということは、今まで話すことがない事なので始めは恥ずかしかったが、死については自分だけが考えていたことではなく、そしてそれは決して恥ずかしいことではないと学んだ。
  テーマを決め討論し、発表した事は、他人が「生と死」についてどのように考えているのか、そこで初めて知ることができ、皆それぞれに考えがちゃんとあることを知った。このテーマは医療人としてこの先考えていかなければいけない事で、誰しもが考える、恥ずかしいことではないと解った。生きていくことについて先が見えず不安になっているこの時期の私にとってこの講義はこの時期にあってとてもよかったと思った。

事例 2

 しかも、驚くべきこととして、ここ4年間のこの歯学部での「死を通して生を考える教育」の講義での感想文において、この学生と同様に「死んでも生き返る」とこれまで考えていた学生が5名もいた事実である。

 さらに、驚くべきことは、2008年度に初めて実施した都内某医学部の学生においても、おそらく同様と思われる学生さんの存在が見られていたのである。

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