資料C 都内某小学校においての「死」を巡る出来事
資料C
  この資料は都内のある小学校の一人の生徒から担任の先生へ「死に関しての質問」が寄せられ、この経過において私が係わった事例である。
  最初、この一人の生徒(A 君)の疑問への私の答えを書いて担当教師へ送った後、その回答を教室で読み上げたら、その他の多くの生徒たちから後述のような数多くの質問が寄せられ、結果として私がその学校へ赴くことになり、以下のようなやり取りがあった。
  この事例から、子供たちが少なくとも死に対してかなりの疑問を持っていることと、死をタブーとしているのは、親や教員であることを知らされたのである。

1、A君の質問
 質問1 死の種類を詳しく教えてください(病死・交通事故等具体的に)
質問に対しての私の答え 死の種類というのはどのような立場で考えるかということがまず問題となります。貴方のおっしゃる病死という考え方は、いわば、病死と病死以外という概念で死を考えた場合の分類であります。この場合の病死以外というのは、例えば、事故死とかいういわばどのような原因で死に至るのかという考え方によるものです。
 私も今、大学で「死を通して生を考える」と言うテーマで講義をしていますが、ここでは私は死を脳死・心臓死・細胞死に分類して講義をしています。これは、死というものがある一瞬の時間で起こる事が少なく、いわば、時間の経過において起こる事を皆様に知って欲しいとの考え方で言っていることです。勿論交通事故で一瞬の間に、脳がめちゃくちゃになってしまい、心臓も呼吸も瞬く間に止まってしまう場合はこれらの時間はほんの一瞬です。しかし、上述のように多くの病死に方においては、このような事はむしろ少なくかなりの時間的経過を経て死に至るものです。
 私が脳死・心臓死・細胞死と分類しているのは、これまで多くの医者が患者さんの最後を見取る場合に用いてきた心臓死という概念が、最近の医療の進歩により、気管内挿管という手段によってこれまでであれば既に死亡しているような患者さんでもそこで死に至らしめないで死に至る時間的経過を遅らせたり、さらには命を助ける事が出来たりといろいろと幅が広がってきた事によります。
 さらに、これらの操作から脳死という新たな概念が生み出され、またこのような新しい臓器を用いれば、臓器移植ができるという新たなる挑戦も出来るようになり、かえって難しい課題を生み出してまいりました。
 私の分類で言えば、全ての患者さんに脳死が起こるわけではないのですが、心臓死がまず、起こります。しかし、この段階で全ての細胞が死んでいるわけではありません。手の細胞、足の細胞、あるいはいろいろの内臓の細胞などそれぞれの細胞の死が訪れる時間的経過はかなりの時間的な差があるのが普通です。しかし、このように時間的経過があるから、「Aさんは2000年の3月1日の午前1時25分から2時10分の間に死にました。」と言うわけにはいかないのです。ここに難しい問題があります。したがって、一応医者はこれまで@心拍停止(心臓が止まる事)、A呼吸の停止、B瞳孔散大(目のまなこが開いてしまう事)の3つを持って死の3徴候として死としてきました。これは、誰でも簡単に確認できる事、特殊な機械などが不要な事などがこの判定をもって死としてきた大きな要因と考えます。
 最後に貴方の質問のうち、死の種類はという答えとして、私は大学生には、法的死、安楽死等も挙げていますが、これらの用語はそれぞれ異なった立場で用いられる事を承知しておいてください。また、脳死には脳幹死、全脳死という区別もある事、安楽死には積極的安楽死と消極的安楽死があることなども講義では話します。

質問2 死とはどういう状態か
 質問に対しての私の答え これに対してはこれまで多くの宗教家や哲学者、倫理学者等がいろいろの事を言って来ました。しかし、残念ながらこの答えをはっきりと言える人はいないと思います。なぜなら、1度死んだ人は2度と生き返ってこないからです。このため、誰も言っている事は、場合によっては「見てきたような嘘をいい」と言ったら言い過ぎかもしれませんが、確認のしようがないからです。
 私自身も本当の事は分かりませんが、この答えを貴方にするとしたならば、「まず、生きているということと死ぬ事はいわば表裏一体であり、同じ事を表と裏で見ているようなものではないかと申し上げたいのです。別の言い方をすれば、死の連続線上に生があり、生の連続線上に死があるということです。ですから、死を恐れることなく今生きていると言う事に感謝して出来るだけいかにこの命を大切に生きていくかが問われていると思います。ですから、貴方自身はそのような事はないとは思いますが、少しいやなことがあったとか、友達に苛められたからといって簡単に死を選ぶような事は絶対にしてはいけないことだと思ってください。またこのような事をしたとしたら、その子の家族の人の悲しみ・嘆きはいかようなものであるかも考えてください。
 私自身が現在大学で「死を通して生を考える」講義をしているのは、死を教えようとしているのではなく、死を考える事により自分自身の生き様を考えて欲しいと思うからです。
なぜなら、現在の社会は少子化(子どもが少なくなった事)の影響で、子ども達が死の場面に出会うチャンスが非常に少なくなり、この為に、おのづと死を考える機会が大変少なくなってきたとの認識に基づいています。

 質問3 絶対に死んでしまう病気の時、医者は何を基準として患者に告知するのか
 質問に対しての私の答え この告知という問題一つとっても、大変難しい問題を含んでいます。例えば癌の患者さんに病名を告知するかどうかという問題も、長い間、多くの議論がなされてきました。最近では、病名告知をする事が一般的になってきましたが、私はそんなに簡単な問題ではないと現在でも考えています。このようにするかしないかということは一応別として、何を基準として告知するかというご質問ですが、ちょっと意味がわかりません。
 勿論告知をするのであれば、患者さんが現在何を考え、例えば、今後の生活をどのようにするつもりなのか、家族はどのように考えているのか等、多くの問題があり、簡単には結論は出ませんが、このような多くの問題を考えながら、さらにそれぞれの患者さんの顔色を見ながら、心の動きを察しながら、いかに本当の事を分かってもらうように話すかが大切ですが、これまた、「云うは易し、行うは難し」であり、大変難しいものです。

このÅ君の質問に対しての私の回答後、多くの生徒からさらに質問が寄せられた。その質問とその後の授業への私自身の参加後の感想を以下掲載する。

質問回答集
1. 死について

・ 先生は、「死」のことをどうして考えようと思ったのですか。その目的はなんですか。(YM、SS)
答え 私は重症心身障害児と言う常日頃病弱で、感染症にも弱く、あっという間に死んでしまう患者さんへの対応を約20年間してきました。6年前、現在の大学に来ないかと言うお誘いを受けて大学の先生になりました。そして、偶然にNHKのビデオを手に入れ、これを私の講義の折に見せて感想文を書かせたところ、かなりの反響があったものですから、その後、かなり一生懸命にこれを始めました。勿論、それまで、一人の小児科医として、また同時に、重い障害児への療育を行ってきたものとして、私なりに死を考えてはきましたし、多くの死に出会ってきました。これまでのこれらの経験を、何らかの形で若い皆さんに知ってほしいという気持ちはありました。さらに、最近の社会で起こるいろいろな残虐きわまる子ども達が起こす事件を新聞やテレビで見ていて、このままでは日本の社会はどうなってしまうのかと言う危機意識もありました。私は現在の残虐な多くの事件の背景には、人々が生き甲斐を持てず、また、死からあまりにも遠ざかったことが一つの要因であるのではないかとの仮説を考えています。死を知る事により、自分なりの生き甲斐を持てるようになるのではないかと思います。従って、特に若い皆さんに、もう少し死について考えてもらいたいと思います。

2.臓器移植について

・なんで心臓死が最初に起こるんですか。(AJ)
答え 勿論全ての患者さんで心臓死が最初に起こるのではありません。呼吸が最初に止まってしまうこともありますが、呼吸が止まればすぐに心停止がくるのが普通です。参考のために、これまでの「死」は呼吸の停止と、心停止と、瞳孔の拡大をもって死としてきました。しかし、脳死という特殊な状態が登場する事により、この心臓死と脳死との違いが問題とされてきました。その背景には、多くの臓器移植には、脳死でないと臓器がつかないという問題があるからです。

・脳死と心臓死と細胞死があることがわかりましたが、どれとも判別できない人とか、たまにいるんですか。(即死以外で、判別が難しい人とか。)(KM)
答え まず知っておいてほしいのは、脳死は全ての人に起こる事ではない事です。医療の進歩に伴いターミナルケア(終末期医療)が行われるようになった結果、それまでですともう死んでいると言われたような患者さんに対して気管内挿管と言って鼻から管を入れて呼吸の道を確保するようになり、血圧をうまくコントロールしたり、栄養物を中心静脈栄養といって血管から入れる事が出来るようになると、死を引き伸ばす事がかなり可能となりました。その結果、今度はこのような患者さんが亡くなってから、解剖をしてみますと脳みそがぐにゃぐにゃで形も殆どないような脳が見つかり、「この患者さんは本当に生きていたのか」と言いたくなるような患者さんがいる事が分かり問題となったわけです。ですから、脳死の患者さんはある特別の状況下で起こることであるという事を知っておいてください。脳死の後には、必ず心臓死がある一定の時間を置いて(普通は数日から一週位)くるのです。そしてその後に細胞死が来ます。細胞死は一番最後です。

・一度死んだ人の心臓を移してもその心臓は弱っていないんですか。(もらった人は、早死にしないんですか。)(IN)
答え そのような事はありません。勿論もとの病気が残っていれば、早く死に至る事はあります。

・心臓は何分の間にとりだせば、使えるのですか。(MM)
答え 勿論かなりの操作をして保存するわけですが、それでも何日も置いてからでは臓器移植はうまく行きません。

・細胞が死んだことはどうやってわかるんですか。(IM)
答え 細胞の死は顕微鏡で見て分かります。

・臓器移植ということは、誰が考えたんですか。(IM)
答え 残念ながら私は知りませんが、どうしても知りたのであれば調べて見ます。

・ 臓器移植で一番大変なところ、気をつけなければいけないところは、なんですか。(MM、YT)
答え 気をつけなければいけない事は沢山あります。例えば、移植をされる人に十分に危険な事とか、臓器移植後に起こる事など納得がいくまでお話をしておく事がまず大切でしょう(この問題は現在、インフォームドコンセントと言う云い方で、医療法の改正にこれを入れることが議論させています)。次に、移植を受ける人がお金持ちだけしか受けられないなどの不公平があってはいけません。勿論、移植に伴ういろいろの技術的問題があるのも当然です。例えば、自分の身体ではないものを身体に入れれば、当然「免疫」と言う身体の働きにより、入れられたものを異物と認識して身体から排除しようとします。これを防ぐために、臓器移植を受けた人は、それこそ一生の間、免疫抑制剤と言う薬を飲む必要があります。この免疫抑制剤の進歩が臓器移植の進歩をもたらしたとも云えると思います。

・「臓器移植ができるようになってかえって、難しい課題」とは、なんですか。その結果どういう事になったのですか。(KK)
答え 臓器移植が出来るようになり、この前提としての脳死があるわけですが、私は本来この両者は全く別次元の問題と考えています。しかし、脳死が死であるとの考え方が特に医療サイドで起こってきて、これが臓器移植と直接的に関係するようになってきたため問題となったのです。なぜなら、臓器移植に用いられるべき臓器は、脳死の患者さんからの臓器でないとうまくつかない臓器が多いからです(心臓移植、肺移植、肝移植、膵移植など)。

・「ブレードランナー」という映画で、目とか手とかすべて人工的につくられた人間が出てきたんだけど、将来は、そういうふうな人間ができるのでしょうか。それと、心臓とかを運ぶときは、どうしているんですか。知りたいです。(HM)
答え 手とか足とかを事故等でなくした人が、現在の科学の進歩で、義手とか義足とか云う手段で補っている方は沢山おられます。これからも工学系の進歩、特にコンピューターの進歩によりどんどんと進歩していく事になるでしょう。しかし、生物の身体は皆さんが想像している以上に大変うまく出来ていて、いくらコンピューターが進歩したからと言って私達のように健康な人々が毎日使っているように手・足をうまく使う事はかなり難しいのです。しかし、パラリンピック等でご覧になったように、義手や義足でも自分の努力によって健康な人以上に上手にスキーを操ったりすることが出来るようになる人もいるのです。心臓を運ぶのはテレビでもご覧になったように、ある特殊の液の中に入れて、簡易冷蔵庫みたいな物に入れて持ち運びすると思います。

3.植物人間・安楽死について

・植物人間の状態は生きているといえるのですか。(YN)
答え 勿論植物人間は生きています。ただし私達と基本的に違う事は意識がない事ですが大きな違いです。一方、脳死の方を生きていると考えるか、あるいは死んでいると考えるかは、人によって違います。なぜなら、脳死状態の患者さんは、汗もかくし、涙も流すので、生きているように見えても仕方がないのです。しかし、脳死の患者さんは、呼吸も気管内挿管といって管を入れて呼吸管理をしていますし、その他のいろいろの医療行為を持続しないと生きていられません。私は脳死の状態を死と考えています。

・植物人間とは、どういう状態をいうのですか。(WS)
答え 上の質問にも書いたように普通意識がなく寝たきりの方を言います。私がこれまで勤めていた重症心身障害児施設には植物人間に近い方は必ず数%はおられました。この人達は自分で食事も食べられないで、チューブ栄養と言って鼻から管を入れてこの管から栄養物を胃の中に入れているのです。呼吸もいつも苦しそうですし、勿論こちらからの働き掛けにほとんど反応しません。まさに他人の世話に頼って生きているのです。
もう一つ、植物人間を理解するときに必要な事は、植物人間と脳死の違いです。この違いはしっかりと知っておいて欲しいのです。脳死状態になった方は殆どの方は数日間長くても1週間くらいで心臓死に至ります。しかし、これに対して植物人間の場合は長い場合は数年あるいは数十年生きている場合も少なくありません。

・「安楽死」ってどういう事ですか。(IK、TN、TR)
答え 安楽死とは特に癌の末期の終末期医療の場で、痛みなどに苦しみ抜いている患者さんがこのような状態で生きている事が人間としての尊厳を保てるのかと言う疑問から、また、ただただ生きている時間のみをながびかす事が本当に正しいのかと言う考え方から生まれました。この安楽死には薬などを与えて死に至らしめる積極的安楽死と、このような手段はとらないが点滴など命をながびかす医療行為を止めて静かに死を待ついう消極的安楽死という二つの方法があります。

4.老化について

・なぜ、年をとると動きが鈍くなったり、病気がなおりにくくなるんですか。
(NY、OS)
答え 生きているものは必ずいつかは死ぬのです。しかし、これは中村ゆかさんや大嶋しゅんすけ君という一人の人間のみを考えた場合にはそうですが、貴方の家族や、もっと言うと日本人という民族を考えても、さらには、人間というレベルで考えると、生物の命は続いているのです。現在まだ十分には分かっていませんが、染色体の中にあるDNAという生物の基本的構造の中には、細胞が自分で死んでいくというプログラムが組み込まれている事が既に分かっています。ですから、年をとることは自然なのです。また、年をとることでいろいろと身体の故障も増えてきます。それは多くの機械が長く使っていると段段と壊れてくるのに似ています。これが生物の与えられた運命であると私は考えています。

5.人の死について

・先生がたくさんの人の死に立ち会って見ていて一番つらかったのは、どんなときですか。(OS)
答え 死にかけている人に自分の無力さを感じる時です。また、同時に死に逝く人の周りの人、例えば家族の方々の悲しみを見たときです。

・どういう死が印象に残っていますか。(KY)
答え 

・人が亡くなったとき、一番最初何を思っていますか。(GY)
答え 死んでいく人に聞くことが出来ませんので何を思っているか私には分かりません。

・一番こわいことは、なんですか。(SR)
答え 私が怖いのは自分を偽る人です。

・死ぬと筋肉がゆるんで、大便や小便が出てしまうときいたんですけど、本当ですか。くわしく教えてください。(AK)
答え 全ての人ではありませんが、このような状態になる人はあります。

授業後の感想文
IT 「命とは何ですか?」という質問があって博志先生は「自分で考えてほしい」といっていましたが、じゃあ、博志先生は「命」をどんな風に考えているんですか?(とても変なしつもんだけど・・・)
YT 私は今日「死」を中村先生に聞いて今までわからなかった事もたくさんわかった。特に、積極的安楽死が日本ではいけない事になっているという事がちょっとおどろいた。「死」の勉強はとてもこれからのやくにたつと思う。今日はとてもいい勉強になった。
SS ぼくはこの死について考えてみてとても良いことを学んだと思いました。最初に手紙を出してへんじがかえってきた時読んでみるととてもむずかしくてはっきり言ってよくわかりませんでした。でもこの手紙を死を考えることの大切さがわかりました。最初はわからなかった手紙も死を考える事によってわかってきたような気がしました。本当にありがとうございました。
NT 沖縄で学んだ命の大切さ、中村先生から学んだ命の大切さ。あらためて命は大切だなぁと思った。
AJ 中村先生は難しい事をよく知っているなーて思った。大人にしても難しい話だったと思う。でも、中村先生の話はなんとなく分かった。たぶん説明の仕方が上手かったんだと思う。それにしてもこんな時に来てくれてありがとうございまっす!!
KM いしょくとか植物人間とか今までお母さんに聞いてもわからなかったことが今日いっぺんにわかってすごくうれしかったでぇす!
YT 今日は臓器移植のこと(私の質問)などくわしく教えてもらって、良い勉強になったと思います。むずかしい言葉とか、理解できない所もあったけど、わかった部分もあったから良かったと思う。いつか、"APOTOSIS"をパソコンで検索してみようと思っています。今日はありがとうございました。
KK (中村先生の話は私にとってすごく難しかったです)今日はお話を聞かせてくれてありがとうございました。臓器移植はすごく大変だなと思いました。死というと何も無くなってしまう事という位にしか考えていなかったけれど、色々な死があるあるのだと解りました。また疑問が出たら質問させてください。
YM 今日はどうもありがとうございました。アポトーシスのことこたえてくれて本当にありがとうございます。これからもメールで質問すると思うので今後ともよろしくおねがいします。
IK 安楽死をいう言葉を私はよく聞いていたけど、本当に意見は今日聞いて始めてしった。すごくむずかしかったけど、一つ一つ丁寧におしえてもらってわからないところもたまにあったけどでもすごくおもしろいじゅぎょうだった。
TN とてもむずかしい話でわからないところもあったけど「命」という形のないものについて考えていくことは大切だとわかった。私も一生かけて(?!)考えてみようかな・・・。人が死んでしまうのはとても悲しいこと。それにかわりはないけど、「死」についてもっと深く知れたらいいなと思った。
KY 今日は「死」について話をしていただいてありがとうございます。先生の話を聞いて臓器移植の大変さや死のことがわかりました。これからなん年経ってもこのことを思いだして生や死について考えていきたいと思います。
AY 命とは一生のうち色々経験するための材料だと思いました。命がなければ何もできない。むずかしかったけれどていねいに教えていただいて本当にありがとうございました。
TN 死について細かい事がよく分かった。まだ?な事はいろいろあるけど、今日やった事でまたあらためて命の大切さが分かったと思う。
TT いそがしい中きて下さってありがとうございました。先生のお話しすごくよかったです。
SA 先生のお話がよくわかりました。
SS 少し難しかったけどとてもいい話でした。今後さらに死について考えたいです。
IT 臨死体験を教えてもらったけど死ぬと少し体重が軽くなるって事は命も物理系(動きがある)って事?ちがうとすると命はどのようなそんざいなのか?知りたいです。
TR あんらく死がどういうことかわかってよかった。
OK 脳死の人は意識がないのになんで涙を流したりできるの?
IN すこしむずかしい話だったけどなんとなくわかった。ぎもん:たんってばいきんの死体ってきいたけど本当?
IM ひごろ、知るきかいがない人間の体、死について教えてくださってありがとうございました。私のおじいちゃんも一度入院したことがあったけれど心ぞうとかのことは全然知らないからわからなかったけど今回の話で少しは病院にいって気持ちの持ち方がちがくなったと思います。とても、私自身にためになる話をしてくださってありがとうございました。
MM] むずかしいところもたくさんあったけれど、私が質問した事など色々の事がわかってよかったと思う。ほかの人が質問した事も前までわからなかった事も今日話を聞いてわかったのでとてもよかったと思う。
MY いろいろな質問に答えてくれてありがとうございました。人の死についてや、臓器移植の事がよくわかりました。これからも日本女子大学の先生を頑張って下さい。
YY 私は本で死んだ人が川をわたらなかったから生き返ったという話を見たけど、実際にそうゆう事があるとは思いませんでした。先生は死についていろいろな事を調べてたんだなーと話を聞いて分かりました。
SH 死についてあらためてよくしった。私もきっと「命って何?」ときかれてきっと答えられない! 中村先生の話を聞いて命のこと、命の大切さがすこし分かった。いつか、「命って何?」ときかれたら、答えられるようになりたい。今日は本当にありがとうございました。
GK 今日は本当にありがとうございました。ちょっと、むずかしくて、分かりにくい事もあったけど、改めて「死(ぬ)」という事って、考えても答えの出にくいむずかしい物(?)だなぁと思いました。私が死の事を勉強してもむずかしくてつづけられないでしょう・・・。私は障害人について、ちょっときょうみを持ちました。ぞうき移植ってこわいだろうなぁ、と思いました。私は人が死んだ時とかおそう式に出た事がないのでまだ、悲しい、泣いてしまうという事が分かりませんが、やっぱりいつ考えても「死」ってむずかしいなぁ。
TR 今日はいろいろな質問に答えてくださってありがとうございました。死という物の複雑さがよくわかりました。また、できたらいろいろなことをおしえてください。


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