\、日本小児保健学会で発表した資料A

 演題名 「死を通して生を考える教育」の重要性−その2−

−バーチャルリアリティーと死の認識の関連性について−

所属 日本女子大学家政学部児童学科、日本大学国際関係学部、和光小学校、和泉小学校
氏名 中村博志、○服部慶亘、藤田康郎、野崎佳子

T、はじめに
小学生372名を対象に実施した「ヴァーチャルリアリティと死の関連」のアンケートの分析を通して、ヴァーチャルリアリティ(以下 VR)経験が如何に「死」に対する認識と相関するのか(しないのか)を求めるべく、現在のデータ分析と今後の調査方法を呈示することを本報告の目的とする。

U、対象と方法
着目点VR経験と(身近な人の)死の経験の両者が、少なからず人間の蘇生観に影響を及ぼしているのではないか…という第一の仮説を立て、下のFIGURE-1を作成してみた(データ分析前)。

[FIGURE-1]

データ分析の着目点を明らかにすることにより、今後のDeath Education研究の指針の呈示も可能となるのではないか…という第二の仮説を立て、アンケートによって得られたデータの中で、「性

別」「TVゲームの経験」「身近な人の死の経験」「蘇生観」(死んだ人間が生き返ると思うかどうか)に関する項目の数量化データにχ二乗検定をか
けてみた。
以下、その結果をもとに、考察を試みていくこととしたい。

V、結果
着目点の因果関係(相関関係)を明らかにするためにはクロス集計が必要な作業となる。しかし、とりあえず前述した「性別」「TVゲームの経験」「身近な人の死の経験」「蘇生観」の単純集計結果をもとにχ二乗検定を試みた。
「性別」について、男女の偏りはほとんど見られなかったため、性別に起因する結果の変化はあまりないものとして考えられるため、このファクターは分析対象からはずすこととした。
「TVゲームの経験」については、経験年数などの偏りが出た。この時点では、このファクターが何らかの現象(あるいは結果の変化)を誘発するという期待が持てるものと思われた。
「身近な人の死の経験」についても、経験の有無に偏りが出た(具体的な部分は、中村報告に譲ることとする)。やはり、このファクターも何らかの現象(あるいは結果の変化)を誘発するという期待された。
「蘇生観」についてだが、ここには偏りがほとんど認められなかった。と言うことは、小学生の持つ蘇生観が他のファクターから影響を受けているかどうかは、甚だ疑問視されることになるのだが、本来的には(我々の知識にしたがえば)「一度死んだ人間は生き返らない」という回答で占められることを期待することになるため、偏りがないこと自体が特殊な結果ととらえることが出来るのである。
よって、クロス集計は「TVゲームの経験」「身近な人の死の経験」「蘇生観」の3ファクターに絞られた。
念のため、「性別」ファクターを上記3ファクターとクロスさせ、χ二乗検定を行ってみたが、ほとんど意味のない結果となったので、やはり分析上のファクターからは除外することとした。
3ファクターから2つずつを抽出し、クロス集計したものにχ二乗検定をかけてみたところ、単純集計時には存在した(発生した)偏りが、クロス集計ではほとんど認められなくなってしまうという結果を得た。
また、3ファクターをすべて同時にクロス集計(三次クロス集計)して検定を試みたのだが、ここでも偏りのない結果を得るにとどまっている。

W、考察
ここで、今後の課題となるべき点を列挙しておく必要があろう。
まず、VRと身近な人の死の、どちらを先に経験しているのかという点に言及できる調査表の作成の必要性である。
次いで、VRと身近な人の死の、どちらの刺激が強いのかという点に言及できる調査表の作成の必要性である。
これらが意図することは、「何も知らない(体験していない)ところにVRを経験する」のと「ある程度の死に対する知識(経験)を持ってVRにかかわる」のかというような、ベースとなるものの違いが、同じ「死」という現象への感情(感覚)を異なるものへと誘うのではないのかということである。
さらに、「死」について(何も)知らない、あるいは「誤認識」をしていないかどうかという点について考えてみたい。
「死」という現象が「身近」なのか、「現実」としてとらえられるのか、「誰に」訪れるのか…というような、言い換えれば、どのように「死」を学んだのかという「バックグラウンド」が重要視されるべきではないのかということである。

X、まとめ
これまでの分析・考察を経て、いちばん問題視すべきは、小学生の「蘇生観」であろう。「死」に対する知識・経験の乏しさの原因を、当初我々は「VR経験」とリンクさせて考えていたが、それが(ほぼ完全に否定された今となっては、むしろ別の着目点を置くべきだとする第三の仮説を立てる必要があるだろう。
そこで下のFIGURE-2を作成してみた。

[FIGURE-2]

 つまり、「蘇生観」の誤認識を生じさせる社会構造(人間関係、家族の状況)なども考慮に入れた研究が必要となるのだが、現代社会の家族事情は「ホテル家族」などの言葉に代表されるようなコミュニケーションレスの状況が著しい。共同報告者の中村は、日本人の宗教心(宗教観)の希薄さと蘇生観の誤認識とを関連付け、生命有機体としての人間の教育を主とすることを目指しているが、そこに加えて、人間関係(社会有機体)回帰の解決策を見出すことともDeath Educationの必要なファクターとして、私はとらえていきたい。
生命と社会という、2つの有機体教育を目指すところから、Death Educationの未来が見えてくることを期待し、今後の糧としたい。

死を通して生を考える教育関係トップに戻る