V、出会いの重要性

 今回、本年4月から日本女子大学に奉職し、通信教育も担当することになった。そして、担当から本欄の執筆を依頼された。後述するように筆者のこれまでの経歴では、この様な仕事の経験もないし、どのようなことを書いてよいのか当惑した。しかし、考えてみれば、通信教育というものは、大学教育のいろいろの問題が社会的に問題となっている現在においても、お仕事をなさりながら勉学に勤しまれている貴重な人材を育成する重要な仕事である。この様な方々に、これまでの筆者の歩んできた経歴を紹介し、さらには出会いの重要性についても述べてみたい。
 筆者が日大医学部を卒業した後、日大小児科の馬場一雄教授(5つ子の育ての親として有名である)のもとに入局したのは昭和38年のことであった。その後、小児科医局において本邦の小児神経学の草分けである故吉倉範光日大教授に師事し小児神経学を専攻した。そして、約10年以上経過した後、日本最古の肢体不自由児施設である国立・民営「整肢療護園」に併設されている重症心身障害児施設「むらさき愛育園」に昭和50年に奉職した。重症心身障害児とは「重度の肢体不自由と重度の精神
遅滞とを合わせ持つもの」であり、運動機能で云えば、寝たきりの人が大部分であり、知能程度も成人となってもせいぜい4歳半か5歳止まりの方が多い。従って、医療的には極めて重症であり、介護の面から云っても非常に手の掛かる人たちである。この様な障害児を相手にした生活がこれから始まった。ここでの7年半は思い起こせば、筆者のこれまでの人生を根本から覆すような転換期であったと思う。それまで、単に一人の医師として、臨床医学、特に小児神経学に従事してきた筆者にとって、重症心身障害児医療という、しかも、管理者としての仕事は、いわば、これまでの人生観を基本的に考え直すよい機会でもあった。一人一人の障害児(者)や、その親た
ち、さらには障害児(者)の療育に真摯に立ち向かう現場の職員たちと毎日接しているうちに福祉、教育の意味やその重要性を改めて問い直す良いチャンスでもあった。この間、仕事を通じての多くの先輩や同僚とともにこの分野においての研究も数多く手がけることが出来た。さらに、昭和57年にやはり重症児病棟がある国立療養所足利病院に院長として赴任してから、さらにこれらの研究は進んでいった。お恥ずかしいことではあるが、筆者のこれまでの研究の多くは、重症心身障害児施設に入所している入所者の一人一人を、いわば一人一人の病態像として「個人チェックリスト」と
いう一枚の紙に記入してもらったものを入所者全員から集め、さらに、「主要病因別分類」という一人一人の入所者が重症心身障害児(者)になったいわば推定原因を記入したたった一枚の紙から成立している。これらのデータをコンピューターに入力し、いろいろと分析していった。資料を縦に刻み、横に刻んでいるとこれまでは何となくこんな具合であろうかと勝手に想像していたことがはっきりとしたデータとして分かってくる。また、これまでは関係のないものとして考えていたもの同志が実は潜在的に関与している可能性を示唆する所見が得られたりする。このようにして、コンピュータ分析を主体としての筆者の研究は進んでいった。もちろん、この間多くの方々にご協力を頂いた。これらのご協力がなければ現在の筆者はないものと断言できよう。
 この間、多くの行政関係者、福祉関係者、教育関係者、さらには多くの障害者自身、また、障害児を抱えて苦労をされてきたご家族の方々とも仕事を通じてお知り合いになることが出来た。これらの方々とは筆者なりの持論を展開しつつ、数多くの議論をすることが出来た。ここでは多くの人との出会いがあった。
 筆者にとっての出会いは、上述のごとき人との出会いは勿論の事、さらに二つのものとの出会いが重要であった。
 現在の世界はコンピューターなどの電子機器によって支えられているといっても過言ではなかろう。多くの計画や事業がコンピューターの活用なくして進むはずがない。
 その二つの出会いとは、一つは、コンピューターとの出会いであり、もう一つは一つの本との出会いであった。その本は、角田忠信先生の「日本人の脳」である。
 コンピューターに関しては、上述したようにこれらの資料の解析を縦横にやらせてもらった。ここで強調したいのは、基礎データの重要性である。とかく、例えば福祉の世界では、情緒性が強く、データに基づいての議論がやや欠けているのではないかと思われるふしがある(これは筆者のみのひがみであろうか・・・)。出来るだけ、基礎データを持って議論に参加することが出来ればそう簡単に議論に敗れることはない。さらに、もう一つ付言をすれば、筆者は通信教育を学ばれる諸嬢もコンピューターを出来るだけ修得される方がよいと考えている。一般に、女性はこの様な器械が苦手であると云われている。しかし、いざ、やってみるとそれほどの事はない。筆者
がコンピューターを始めたのは40歳をはるかに過ぎてからであった。であるから、始めから「私はダメよ」などといわずに出来るだけ挑戦して欲しいと思う。また、コンピューターの習熟に際して2つの事が重要であると指摘しておきたい。一つはこれは誰でも云えることだが、慣れることである。もう一つは、分からないときに、すぐに聞ける人を作っておくことである。幸いにして、筆者の場合は、後者に優秀な人材を得ることが出来た。この為、コンピューターを用いてこれだけ仕事が出来たのだと思っている。
 さらに、もう一つの「日本人の脳」(角田忠信著 大修館書店)はそれまで福祉との対応の世界で当惑していた自分をはっきりと意識することが出来た。紙面の都合で詳細は省略するが、この本によれば、日本人は論理と情緒がいずれも左脳に優位性があり、この為、論理と情緒の分離がし難い国民であるといえる。読者もご一読頂ければ有り難い。
 この様に、筆者のこれまでの人生は、多くの素晴らしい人との出会い、コンピューターとの出会い、さらに、興味深い本との出会いであった。これからも多くの出会いを大切に生きていきたいと思う。仕事が忙しい上に、勉強にいそしまれている読者の諸嬢に深甚なる敬意を表するとともに、今後のご健闘をお祈りして筆を置く。

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