X、テーマ「差別と差別用語」

 大学に奉職する以前、私は重症心身障害児医療の世界で約20年間仕事をしてきた。この間、障害児差別の問題も自分なりに考えてきた。しかし、違った立場で仕事をするようになって差別問題を考えるとき、いろいろの疑問がわいてきた。例えば、差別用語についてである。多くの過去用いられてきた一般用語が、差別用語として使わなくなりつつある。これはこれで評価できるとしても、どこか納得出来ない部分もある。例えば、最近、テレビを見ていて気になるのは、番組の最後に「ただ今の放送中、不適当な発言がありましたので訂正してお詫び申しあげます」との発言がまま見
られる事である。おそらく、多くの国民はどの部分が不適当な発言か分からないままに、聞き流してしまうのではなかろうか。もし、本当にこの発言が不適当であると考えるならば、「誰々さんが発言した・・・という言葉は不適当ですので、この言葉を訂正させていただきます」と言わなければ、いつまでたっても、この問題発言がこの世の中からなくならないのではないか。差別をなくそうとする努力が大切であることは言うまでもないが、ただ単に、言葉の言い換えをすることにより、全て事足りたとする現在の風潮になんとなく物足りなさを感じるのは私だけであろうか?
 差別をなくすために、これまで多くの関係者が血まみれの努力をしてきたと思う。
事態を率直に表にさらけ出し、一般の人々にそのありのままを知ってもらうことで改善されてきたのではないだろうか。従って、言葉を使わなくするだけで差別がなくなるとは、私にはとても思えない。
 本質は差別用語をなくすことではなく、差別そのものを出来るだけ少なくするような努力を国民一人一人がすることがより重要な課題であるように思うが、皆様のご意見を伺いたい。

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