]T、日本教育方法学会論文@

 和光小学校における「命の教育」「死を通して生き方を考える」授業
              日本教育方法学会での報告
                                         藤田康郎
  和光小学校では命や死を教材として扱う授業を行ってきた。
教科では理科で鶏の有性卵を孵化させるなど直接生物の誕生に関わるもの、国語の文学教材で「いわしのたび」「ひろしまの歌」などを扱っている。
また、教科外では1・2年生の生活べんきょう・3年以上の総合学習において、表で明らかにしたように、「誕生」、「体の学習」、「性教育」、「人権と命」などで総合的・体験的な授業をおこなっている。
  これらの授業は「人間とは何か」、あるいは「自分とは何か」という問いを子ども達に投げかけることになる。また、子ども自身の問いでもある。
  「死を通して生き方を考える」授業は1年生からの命の学習の積み上げの上に6年生の3学期に取り組まれる。6年生は4月から12月まで総合学習で「沖縄」を学ぶ。山場は10月の沖縄学習旅行で沖縄戦の体験者から地上戦の悲惨さ、戦争の非人間性についての話を聞く。また、追体験として住民や軍が隠れ潜んだ壕に入る。子ども達は多くの人たちの死を目の当たりにしたような数日を過ごす。
  子ども達は命が粗末にされた時代について知ることでかつては「今は平和でよかった」という感想が聞かれたが、一昨年は「今だって命が粗末にされている」「自殺や殺人があるから平和とはいえない」と言う感想が目立つ。子どもの目にも昨今の事件や自殺の増加が深刻に映っていることがわかる。子どもは死について、あるいは命の問題について知りたがっている。その問いに応えること、また遠いところの話であった「死」を身近にひきつけて考え命の大切さを改めてつかませる、ことをねらいとして、「死を通して生き方を考える」授業を組んでいる。
  これまでの実践ではホスピスでボランティアをしてる甲斐裕美さんに患者さんの話をしていただき、感想を交流する取り組み。また、日野原重明さんに医学的側面で命とは何かの授業をしていただき、身近な人を亡くした経験がある者が意見を交流する取り組み。
また、菊田まりこ著「いつでも会える」を読み聞かせ、身近な死や喪失体験の交流と死についての生物学的な学習、甲斐裕美さんの著書をもとに意見交流する取り組み。などがある。
  子ども達は死を目前にした人が最後まで自分らしく生きていく姿を知り、死がひたすら恐怖の対象であった子どもが最後まで自分らしく人間らしく生きつづけることの意味を肯定的にとらえるようになった。また、これまで身近な人の死についてあるいはペットの死について話し合う機会をもてなかった分、死別や喪失による感情を学級の中で一生懸命語る姿があった。
友達にも同じ思いをするものがいたんだ、とか同じように乗り越えてきたんだ、という共感し合う関係も見られた。
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