W、私が実施している「死を通して生を考える」 講義の内容 |
ここで、私自身が現在実施している「死を通して生を考える」講義の内容を説明しておこう。 まず、上述の3本のビデオをみせる。さらに、ビデオにより、アポトーシスやテロメアの解説ビデオも見せる。その後に、レジュメを配布しておいて、これらの事項に関してこれまでの私の経験談を交えながら説明する。さらに、講義後、講義に関しての感想文を学生さんに書いてもらうようにしている。さらに最近では講義回数を増して、小グループで学生相互の討論を行う時間も設けていろいろと議論をして貰っているがおおむね好評である。ビデオ後の講義の内容は、多少そのときの時間などの関係で異なるがおおよそ次のようである。 まず、生と死は連続性のものであり、それぞれ異なったものではない事を話す。ビデオを見た後であるからかもしれないが、多くの学生は大体納得してくれるようである。次になぜ今このような講義が必要であるかを、最近の子供によって引き起こされる多くの事件を取り上げ説明する。また、いじめ、学級崩壊、不登校、子どもの自殺、子供によるあまりにも残虐な数々の事件などの背景にも、この様な命を大切にしない考え方があるのではないかという事も話すのである。さらに、これらの事件の背景には、家族の絆や家庭の崩壊が存在する事に触れる。また、この社会的背景として、少子化や老齢化など現在の社会が抱えた大きな問題がある事も知ってもらう。 これらの話しに引き続いて、ターミナルケアや脳死、臓器移植に絡まる最近の多くの出来事についても出来るかぎり触れるようにする。これは私自身が医師という職業に身をおいているからかもしれない。 これらの話しに引き続いて、なぜ、このような事件が起こるのか。そして、現在特に若い世代において、死がいかに遠い存在になっているか、あるいは、現在の我々の社会が死とは縁遠いものとして毎日の暮らしが行われているか等について話す。そして、この事が最近の多くの残虐な事件に繋がっているのではないかという仮設を展開する。そして、このような事が起こらないようにするために、今後子供達に対しての「死を通して生を考える教育」がいかに重要な世の中になったかを説明する。 そこでは、死の教育の重要性として、 @現在のこどもが死の場面に出会うことの少なさからくる死の認識の少なさ(少子化との関連) Aそれから派生する問題点(いじめ、学級崩壊、不登校、子どもの自殺、子供によるあまりにも残虐な数々の事件等) Bテレビゲーム等からくる死の受け止め方(バーチャル・リアリティの世界の現実化)。 C「死を通して生を考える研究会」の発足に関して 最後に死の教育に対しての提案として、次のような具体的提案を行う。 @動物と死(動物を飼うことの重要性とその死の場面の取り扱い方)。 A近親者の死の場面に出来るだけ連れていくことの重要性。 B死を通じて生きている意味を考えることの重要性。 Cその為の施設見学等の大切さ(私自身が重症心身障害児施設において助産婦学校学生の見学から得られた体験等)。 D生と死を考える教育、特に「死を通して生を考える教育」の必要性 E結局、出来るだけ死について考える時間を作ることの重要性。 ここでは、この教育が本来いかなる場で行われるべきか? 家庭なのか、学校なのか、あるいは地域社会で行われるべきなのか等を話し、家庭機能の崩壊によって、これらの機能が学校教育で行われる事が必要不可欠になったと言う私の考えを披露する。 勿論、この間に、本川東京工業大学教授の「象の時間とネズミの時間」から @動物における時間の多様性とその解釈 A動物の大きさと時間や命の関係。 Bエネルギー所要量と寿命の関係。 C時間には直線的時間と円形の時間がある(輪廻)などにふれる。 さらに、最近の染色体分析の進歩から、アポトージスやテロメアなどの話題にも触れることは既に述べた。 最後に、このように現在の社会は、「死や生」を家庭教育で教えられないほど家庭機能は崩壊寸前まで来ている事から、否応なく学校教育の段階で教えなければならないことをお話するのである。 |
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